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午前中に記事を書き上げる時も、眠いのを我慢しつつ
隣の部屋からの音に神経を尖らせていて疲れてた。 その後ちょっとネットで病気に関する体験などを検索して 読んでる内に、音が止んだので布団についた。 うまく寝られて起きたら12時、多分1時間くらいしか寝てないけど 頭も体もだいぶスッキリとした。 ただ夢を見たので眠りは浅かったんじゃないかな~ 数時間経って今はだいぶ忘れてるけど その夢で印象的だったのは、 いつも外出する時に背負うカバン (通勤用でも愛用してた黒いリュックタイプ)を背負ってて まだ捨ててない履き潰したスニーカーを履いてるという出で立ちで どこかの漠然としてスーパーとだけ認識できる所を徘徊してる場面。 上着はパーカー、ズボンはジーンズね 一応。 歩いてたら男の店員に お客さん、つま先部分が履き潰れてて縫い目が裂けてる靴は汚いんで やめてもらえませんかね?って言われる。 それを聞いて、はは~……と何だか恥ずかしくなるんだけど 店員の顔を見てみたら、実際によく行くスーパーでレジで見かける 店員だったという。 それで一度離れてまた店内をブラブラしてると またその店員から声を掛けられた。 スニーカーのつま先の裂け目のところに泥が一杯に詰まって それがボロボロ落ちると汚いから、出て行って欲しいと言われる。 さっきの場面では泥は付いてなかったのに 今回は言われた通り、その部分に泥が一杯に詰まってた。 という場面に目が覚めた。 まあここ数年、うつ病の症状なのか身嗜みに関心が無くなって それを自覚しつつも治せないという悩みみたいなものが 夢になったんだと思う。 服装について言えば、バイト先でたまの週末に 飯を食いに行こう遊ぼうと声を掛けてくれた人 +一緒にスロに行ったこともあるもう一人の人 の2人が声をかけてくれて、去年の秋に 千葉にあるファッションモールへ買い物に行ったのが 今から考えても本当にありがたかった。 その買い物に行くまで、ずっと履いてるというか サイズが合う唯一のジーンズは 左寄りの尻の部分から太ももに掛けて大きな穴が空いてる状態。 また上に書いた履き潰したスニーカーも実際通りで 雨の日にはちょっとした水溜まりで、穴から水が入ってきて 靴の中がビショビショになるほどのモノ。 それらを何ヶ月も通勤だろうが、近所に出かけるのでも履いてたくらい。 早く買わなきゃすごいやばいなと思いつつも全然買い物できず 先延ばししてた。うつ病の特徴なのだろうかとも思う。 それで目が覚めて12時、手荷物をまとめて病院に向かう。 昨日夕方に診察を受けた会計で、僕が (先日届いたばかりの)医療自立支援の冊子を持っていくのを 忘れたので、その場では国保を適用させて3割負担で支払い、 今日再訪問して自立支援冊子を渡して手続きしてもらって 差額を返金という流れになってたため。 駅に向かう途中で携帯を取り出してみたら、 昨夜僕がメール送った友だちから返信が来てるのに気がつく。 返信があったのは11時くらい、携帯がサイレントモードになってて 気が付かなかった。 慌てて今用事があるから◯◯時頃に電話するよと返信。 病院で返金を受けて、その足で昼飯を外食で済ませて 帰宅したらちょうどいい時間だったので メールで電話するよと送ったが返事が来ない。 10分くらい待って一応こちらから掛けてみたが繋がらない。 連絡が行き違いになって怒らせてしまって もう連絡が取れなくなるんじゃないかと 結構大きなショックを受けてしまう。 というのも、僕自身の事、家族の事などプライベートなことまで 何でも相談できる数少ない学生時代から友達。 こちらに来てから連絡を取らなくなった友人が多い中で 唯一連絡をとってると言える友人。 僕が横浜に引っ越してくる頃には、彼はもう神奈川で10年近く 一人暮らしをしてたのでアドバイスをくれたりした。 実際僕がアパートを決めるのに数日間横浜に来た時にも 家に泊めてくれた上、一緒に不動産めぐりもしてくれたりして 住み始めてからも時々会ったり連絡取ったり。 次第に連絡を取る期間が長くなったものの 1年半位前に僕が今のアパートに引っ越す時にも 遠いところから車を出して来てくれて引越しの手伝いもしてくれた。 また精神科的な仕事をしてるので 僕が去年病院に通うか悩んでる時にも相談にのってもらった。 ただそれ以降、ここ半年近く連絡を取ってなかったので それからの報告や実家に帰る手配を取ってることを 伝えようと思って、昨夜メールしてみたのだった。 話を戻すと連絡が取れないショックはあったが 夜勤明けとメールにあったので、眠ってるんじゃないかと納得。 一応フォローとして連絡が行き違いになったお詫びと 実家に帰る事にしたとだけ報告メールした。 それからまたネットめぐりをしたりするが 今日は睡眠不足と神経過敏がひどい。 とそこへ、携帯メールが来たので急いで見てみたら 携帯会社からのお知らせだったファック。 隣が静かになったのを見計らってまた寝て 18時半くらいに起きる。この記事を書き始める。 19時ごろに電話が来た。友人からだった。 去年の秋にアドバイスをもらってから通院を始めたことから 1月に退職して、無職で職探しを始めた辺りのことを話した上 お父さんを嫌がって二度と戻らないと言ってた位なのに なんで実家に帰ると決めたの?と友人に聞かれた矢先、 明日時間があれば実際に会って話をしようという提案を受ける。快諾。 昼前から飯を食ったりしながら出かけて話そうという流れ。 彼の方で一応調整があるので今夜もう一度電話が掛かってくる。 事情を聞いて貰える上、出かけてる間だけでも 隣の生活音を気にしなくていいのがすごく嬉しい。 反面、 ああやっぱり自分は人に依存しないと行きていけないんだなあ…… という情けなさもある。 人を頼ると言えば、妹にも悪く言えば甘えてる。良く言っても頼りにしてる。 先日連絡で、行き詰まったから実家に帰ると初めて相談した時も このまま一生会えないと思ってたから実家に帰って来るのは嬉しい。 実家はうるさいから歩いて数分の祖父母の家で一人ゆっくりしたらいいじゃない。 問題のお父さんは、私の言う事だけは聞くから説得するよ。 と応援してくれた。 正直妹がいるから家族間の連絡がとれて何とか機能してるような家庭なのだ。 実家から車で数分の近い所に住んでるとはいえ 結婚して仕事も続けてて娘もいる、というのに 父には僕ほどの感情は持ってないためか唯一ある程度父に物言いできる。 父は僕や母を見下してる、良く言っても 自分がいないと何にも決められない優柔不断な奴らと 思ってるので、いくら母や僕が正しいことを言っても 全く聞く耳を持たない。 今日明日、妹が出向いて母と父に報告してくれる予定。 特に父には、僕は甘えや楽をしようとしてるんじゃなく 飽くまで病人で静養しないといけないから 刺激しないようにと強く頼んでくれる。 もう戻るしか生きる道がないのだから 何と言われようがどうなろうが今は考えるべきではないと不安と横に置いてる。 それよりも建設的に実家への退去について考えよう。 正直帰ってもOKが貰えるかどうか、 これが妹にうまく説得して貰いたい一番の点で 第一の関門である。 逆にここさえ何とかなれば アパートの引き払い、各種住所変更 インフラの供給停止手続きなどなどは 案外スンナリ行くだろうと思う。 どうかうまくいきますように。 アパートの話に戻るけど、 隣の住民が引越しの挨拶も抜きだったのは まあよくある話なので別に気にしてない。 廊下から聞こえる声からして女性みたいだから 住民トラブルを避ける為に挨拶自体しないだろうし 干渉しないでってことなのも分かる。 大きな生活音に対しても、一般常識内だろうし 僕が過敏になってるだけだというのも分かる。 ただ前のアパートの経験から、 こちらが同じ程度に音の出る生活をしたら 向こうがやり返して来てエスカレートしてしまうとの 妄想が強くて、刺激しないようにむしろ出来るだけ 音を立てない生活を強いられているのがストレスの原因。 だが引越すの当たっては もう気にせずにこちらも常識ある範囲で 好き勝手にやらせてもらう。 今のアパートに引っ越すに当たり僕の場合は 階下と同じフロアの人達に挨拶回りしたためか (誰も出ないから粗品と一筆をナイロン袋に入れて ドアの取手にぶら下げたのだけど) 同じ階に住む1室の同い年くらいの男性からは 出会った時に挨拶返ししてもらい、 災害など何かあったら協力しましょうという気持ち良い言葉をもらった。 そういう人になら、事前に一筆書いて 何日から何日まで引越し作業でバタバタするが ご理解のほど云々を伝えようと思うのだが 挨拶すらなかった隣、及び隣の隣の住民には その必要が感じられないのでいいやと。 まあ隣が4月から大半外に出る生活に変わるのか どうかはさておき、荷物の引越し自体が 早いと4月半ば、遅いと下旬くらいになるのかな。 不動産との兼ね合いもありますが。 それにしても全くこういう外部的な刺激は予想してなかった。 全くもって自分に現実感、危機感が足りないのを痛感。 今から考えれば、そりゃ空いてる部屋は宣伝営業掛けてるし いつ人が入ってきてもおかしくないわけで。 昔から全体を長期的に見れなくて 短絡的刹那的思考、現状がいつまでも続くと思ってる節が 非常に強いです。 それは父親が典型的、何時まで経っても子供離れ出来ないくせに 僕ら子供たちが離れて暮らして社会人結婚を経ても、 幼少時と同じような言葉遣いで接してくる成長の無さ。 僕が30を超えて離婚した時、アンポンタンと言って切れたのが 情けなくて今でも一番忘れられないくらい。 その遺伝や洗脳教育で、僕自身もまた発達障害に近いのでは?と。 うつ病+不安障害の診断しかされてないけど 実は何か障害を持ってるんじゃないかと今でも思ってます。 発達障害かどうかは先生の専門外だったから 何の話もないのではないかとずっと訝しんでます。 長々となりましたが妹を中心に実家に帰る動きは始めたものの 実態は無職状態で毎日大半は部屋にいる状態。 実家に帰る事を決めてからは職安に通うのも形だけ、 その後大きな駅前でブラブラしてる実態は 昼から数時間外出する為のカモフラージュ。 何に対してかというと隣の住民に対して。 入居するに当たり隣の住民が何の仕事をしてるか 気になるし不動産は知ってますが教えて貰えない。 がここ数日の生活で僕が無職、良くて求職中というのは 隣の住民にもわかったはず。 フリはしてても、実際の求職活動をやめてしまった、 しなくていいと自分に言い聞かせれるのは大きな安心。 今は妹からの報告待ち。 隣に人が引っ越して来たのはまさに運命的と考えるようにしよう。 病気+一人暮らしでアパートの生活音すら不安要因、 無職で求職+退職後の手当などもない貯金もない現状。 もう死ぬか実家に帰って休んでやり直すか 生活保護をもらうか、金を借りて病気を治せる環境じゃなくても 無理やり働いて食いつないでいくか…… そういう選択の中で、実家に帰る判断がやっと下せた。 実家に帰る選択以外なかった。 結局、都会で赤の他人が非干渉で住まうアパートに 自分は合わないのだ。少なくとも今の精神状態では。 だから働く以前に休養する必要、部屋で休養するためには 赤の他人住人に干渉してほしくないのだ。 PR |
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